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2025.04.07
ブログ
保育の安全基地~仏様の指を目指して~(0,1歳児さくらんぼ組)

保育・教育に携わる方々や子育て中の方々は,「安全基地」という言葉を耳にする機会が多いと思います。今回は安全基地が育む「生きる力」についてお伝えします。
安全基地とは
子どもは,不安・恐怖・悲しみなどを感じた時に,「この人といれば安全」「この人は受け止めてくれる」と思える対象がいることで安心を取り戻すことができます。そしてその対象は,おもに保護者や保育者など日常をともに過ごす者になることが多いです。安全基地で心の元気を充電できるからこそ再び基地を離れ,遊びや探索へと向かっていくことができます。
欲しい玩具が手に入らない・玩具で上手に遊べない・友達とけんかしたなど,小さな子どもの世界にも毎日のように彼らなりの試練があります。気持ちをまだ言葉で表現できない彼らは私たち保育者に抱っこを求めてきます。その時はすぐに抱き上げ,「そうだったの,嫌だったね」と共感の言葉をかけます。
できることならかわいいこの子たちをいつまでも抱っこしていたい,そう思うのですが,私たち保育者は彼らの今だけではなく将来も見据えて「生きる力」を育てる使命があります。
安全基地からの出発
ある日運動遊びをしていた0歳児のAちゃん,コロンと転がったことが怖かったのか泣きながら抱っこを求めてきました。そこでまずは抱き上げて背中をトントンしたり優しく声を掛けたり。少し落ち着いたところで座ってまたしばらく抱っこ。Aちゃんが周りを見るようになったらAちゃんの向きを正面にして抱っこ。そしてそっとAちゃんの足を床におろして自分で立たせ,そのままAちゃんの体に手を添え神経を集中させます。Aちゃんの体がわずかに前へ出ようとした瞬間を逃さず,私もAちゃんが気付かないほどのわずかな力で背中を前へと促しました。そしてAちゃんはまた遊びの世界へ向かって行きました。
このように私たちは,彼らが自分の意思や力でできたという成功体験や満足感を得られる環境を作ることに日々努めています。
仏様の指
保育に携わるうえで私が大切にしている言葉があります。
国語教師でいらした大村はまさんの『教えるということ』(共文社,1973年出版)という著書の中の,「仏様の指」と題されたお話です。
≪仏様がある時,道ばたに立っていらっしゃると,一人の男が荷物をいっぱい積んだ車を引いて通りかかった。そこはたいへんなぬかるみであった。車は,そのぬかるみにはまってしまって,男は懸命に引くけれども,車は動こうともしない。男は汗びっしょりになって苦しんでいる。(中略)その時,仏様は,しばらく男のようすを見ていらっしゃいましたが,ちょっと指でその車におふれになった。その瞬間,車はすっとぬかるみから抜けて,からからと男は引いていってしまった。≫
大村先生はこのお話を知った感想を次のように述べられました。
「もしその仏様のお力によってその車がひき抜けたことを男が知ったら,男は仏様にひざまずいて感謝したでしょう。けれども,それでは男の一人で生きていく力,生きぬく力は,何分の一かに減っただろうと思いました。」
このお話に出会った時,私も仏様の指のような保育・教育に憧れを持ちました。
かわいい彼らを見ているとつい,子どもたちに好かれたい,人気者になりたいという煩悩が先に立ちそうになります。しかし大切なのは私の存在を彼らの心に刻んで「大人が手伝ってくれた」と思わせるのではなく,「自分でできた」と思える経験を数多く積ませて自信を持たせ,生きる力を身に付けられるようにすることです。
いつか私のことは忘れて園での経験で前に進み,将来彼らが蓮の花を咲かすことができた時,私も仏様の指に近づけるのではないかと思います。
新年度がスタートして本園でもこども達が進級し,新入園児も迎えました。
初めのうちは環境の変化や初めての体験の連続に戸惑ったり不安を抱いたりすることも多いと思います。こども達が安心して園生活を送れるよう引き続き、受容しながらとこども達との絆づくりを深めて安全基地となっていきたいです。
文責:上国料